宮本樹理(帝京大柔道部/愛媛県北宇和郡出身)第3回「ライバルとの切磋琢磨」
「ヤワラちゃんの後輩になるんだ。私ってすごいかも・・・」
「誘いが来たから」という消極的な理由で、宮本は帝京大への進学を決めた。だが、レベルが高く厳しい練習、慣れない寮生活、そして厳しい上下関係・・・。「柔道がやりたいわけではなかった」宮本には、その生活を受け入れるだけの覚悟も力量もなかった。
「もう帰りたい…」。電話口で母に何度も弱音を吐いた。そんな宮本のようすを見るに耐えかね、母は幾度となく大学まで迎えに来た。だが監督やコーチに説得され、娘の顔を見ることもなく愛媛に戻った。
02年6月、東京に比べれば実家に近い岡山への遠征があった。その機に、宮本は母とともに愛媛に帰る計画を立てた。だが待ち合わせ場所に母は来なかった。「やっぱり一緒に帰ってしまったら、あなたのためにはならない…」。後ろ髪を引かれながらも母は1人で帰った。
宮本は振り返る。「“脱走計画”に失敗して(笑)、もう帰る場所がなかった。どうせここにいなきゃいけないのなら、やれるだけのことはやろう、と」。
宮本は初めて柔道と正面から向かい合った。そしてこの気持ちの変化が、試合での結果をもたらす。同年9月、宮本は全日本女子ジュニア体重別選手権で3位に入賞した。
柔道に対する気持ちが変わると、周囲を見る目も変化した。帝京大の同学年には、鳥谷部真弓(78キロ級)や宮本と同じ57キロ級の佐藤佳江ら、中高時代から全国のトップレベルで活躍している選手が何人もいた。身近な存在である彼女らが胸に日の丸をつけているのを見て、宮本の、生来の負けず嫌いに火がついた。「私も日の丸をつけたい!」――。
「(風戸)晴子先輩は先輩だったから、憧れというか、自分とは違う世界に感じていました。でもそれが同級生だと違った。悔しくて、すごく刺激になった」
迷いが消えたあとは早かった。翌03年、2年時の全日本学生体重別選手権でベスト8、同年の講道館杯は準決勝進出。04年になると選抜体重別で準決勝進出、全日本学生で優勝、講道館杯、初の国際大会となった世界学生柔道と立て続けに優勝、そして今年4月の選抜体重別でも優勝し、ついに「世界大会代表」の座を手にした。
ライバルがいたからこそ
初めて日本タイトルを獲得してからわずか半年足らずでの世界大会代表。あっという間に階段を登ってきたように見える宮本が、「今、一番のライバル」として挙げるのが、宇和島東高校の1学年後輩にもあたる宇高菜絵(帝京大)だ。
昨年の全日本学生決勝ではあと一歩のところで宮本に敗れた。だが昨年の福岡国際柔道を制した実力は本物だ。この春、愛媛女子短大を卒業し、帝京大3年に編入した。
宮本にとって「絶対負けたくない相手」でありながら、いったん畳を離れたら「オフの日には買い物に行ったり、姉妹のように仲が良い」大切な存在でもある。
稲田監督は「二人は柔道のタイプがまったく違う。宇高の攻撃型の柔道は、受けに強さを見せる宮本の良さを引き出す」と話す。当の宮本は「攻めてくる相手の方がやりやすいけど、(宇高)菜絵とはお互いに技も知り尽くしているし、一番怖い相手」と言う。
宮本の代表入りがかかった4月の選抜体重別選手権、準決勝の宇高との試合はやはり接戦となった。結果、指導を2つ奪っての優勢勝ち。
「高校の時も毎日一緒に練習していましたし、お互いに技もわかってるから、(宇高との)準決勝は一番やりにくかったですね。絶対勝ちたいと思ってたけど、向こうも気持ちでは負けてなかったと思うし…。先輩の意地ですかね(笑)」。
準決勝後のこんなエピソードがある。
「試合後、菜絵が泣いてて・・・。だけど、私が決勝を控えてるときに歩いてきて、通りすがりに頭をトントンってやってくれたんです」
言葉はなかったが、「頑張って」という宇高から宮本へのエールだった。
「嬉しかったですね。菜絵のためにも勝たなきゃと思いました」
その後迎えた決勝は一本勝ち。宮本が世界の舞台への切符を手にした瞬間だった。
帝京大は特に57キロ級の層が厚い。宮本、宇高のほか、宮本の同期だけでも佐藤佳江、篠田理子らといったトップクラスのライバルがいる。
「みんな普段は仲がいいけど、練習ではお互いに意地を張ってやってる。でもその切り替えがここの良いところだと思う」と宮本は言う。
「負けず嫌い」を自認する宮本にとって、成長過程にライバルの存在は不可欠だろう。3年後の北京五輪に向けた切磋琢磨は、まだ始まったばかりだ。
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